コーチとはなにか

コーチの意味

コーチという語は、ハンガリーのコチ(Kocs)で15世紀から製造が始まった、「(四輪、スプリングおよび屋根を持った大型四頭立て)馬車」のことをコチ(マジャール語:kocsi)と呼んでいたのに由来する。辞書に初登場するのは1556年のことだった。現在でも欧米では、鉄道やバスなどを含めてコーチと呼ばれているようである。抽象的に解釈すれば、人を乗せて目的地まで連れて行ってくれる乗り物をコーチと呼んでいるわけだ。

この本質的な意味は、現在にも引き継がれている。

人を目的地、つまりは「人をゴールまで連れて行ってくれる人」がコーチである。とすれば、コーチングとは人をゴールまで連れて行くことだ。ここで条件がでてくることにお気づきだろう。コーチされる人が、ゴールをもっていることが前提になるということだ。そうでなければ、連れて行く先がないから、コーチはそのコーチたる機能を果たせないことになる。

ちなみに、先に出てきた「コーチされる人」は「コーチー」(Coachee: person being coached)と呼ばれることがある。また、コーチにはコーチャー(Coacher)という別称があり、Wikipediaによれば日本ではこちらの方が先に定着したようであるが、現在は英語圏でもほとんど使われないようである。

コーチは、知識や技術を教える人ではない。クライアント(コーチされる人)がゴール達成に対してマインド以外のすべての条件が整っているという前提に立って、クライアント自身でゴールに進むようにマインドへ積極的に訴えかけるアプローチをするのがコーチである。その点を踏まえて、より正確なコーチの定義をしておく。

『クライアントがゴール達成に向かえるようなマインドを醸成することでその能力を引き出す人』

とする。

※ちなみに、アメリカのファッションブランドのCOACHは、「大切なものを運ぶ」ときに使って欲しいという製品への想いを込めたということのようである。ロゴには馬車が使われている。
COACH

コーチ・インストラクター・ティーチャー

コーチという用語は、馬車の意味から派生して、古くはスポーツの技術を指導する人に対して主に使われていたもの(スポーツマインドコーチングと呼ばれる)であるが、これは現代では「インストラクター(instructor)」という呼称の方がしっくりくるだろう。インストラクト(instruct)とは、「やることを告げること」(to tell someone what to do)という意味だ。似た用語に「ティーチャー」(teacher)もある。これも動詞のティーチ(teach)で考えると、「なんらかの情報を与えて学習をサポートする、もしくはどうやるかを示すこと」を意味している。

インストラクトとティーチは、なかなか区別がつかないほどに、非常によく似ている。両者共通するのは、「知識やスキルやノウハウなどの情報を与えてどのようにやるかを指導するということ」だろう。ただ、どうやったらよいかを見せる要素が多い場合(ヨガとかダンスなど)はインストラクターと呼び、学校や楽器、仕事などで寄り添って理解を促進するという要素が強い場合にティーチャーと呼ぶというニュアンスの違いがある。

しかし、コーチとはインストラクターやティーチャーとは意味合いが全く異なり、人間のマインドに関与する仕事である。

コーチとメンター

これもよく勘違いをする。
メンターというのは、未熟者にアドバイスやサポートをできるほどの経験を積んだ人だ。これは熟達者であり、師匠とかお手本とかと呼ぶに値する。メンターは、クライアントの個人的な成長の方向性を考慮して、そのお手本をロールモデルとして示すという役割の人である。

また、コーチはクライアントのマインドに作用を及ぼすことで、結果としてゴールに対するパフォーマンスを改善することにつなげるが、メンターは経験に裏打ちされた知識を持って人間的な育成に関して幅広く指導しうる。メンターは、クライアントから見れば、「人間としてのお手本」である。コーチは、お手本でもなんでもないので違いが理解できるだろう。

コーチがやること

大前提として、コーチというのは、

「クライアントとそのゴールを大好きでなければならない」

のである。これは意外なようで意外でない。嫌いならコーチとしての力の出しようがない。または、抑圧的な態度などが生まれて、結局「やりたくないことをやっている」状態が生まれてしまってうまくいかない。そして、クライアントを大好きならば、そのクライアントが立てたゴールだって大好きだ。

コーチは、クライアントが必死に考えたゴールに対して良い・悪いの価値判断をする必要がない!クライアントの内発性を削ぐような行為はロクな結果を生まないからだ。コーチは、ゴールが高いものになっているかどうか、あるいは明確さについてのみ言及すればよい。

クライアントの内発的な動機付けを削ぐことには充分な注意が必要だ。自律的なクラインは、外部からいわれたことではアクションを起こさない。
「お前は知識が足りないから、1日1冊本を読んで勉強しろ!」
というように、理由とやるべきことを具体的に述べられても、おそらくそれだけではクライアントは動かない。

俺の知識が足りない?お前の方が足りないだろうよ。なんでお前にいわれなきゃいけないのだ?!毎日忙しすぎて本を読んでる暇はない。なんで1日1冊とか限定されなければならんのだ?というより、とにかく言い方が気に入らない。

いくらでも、不満要素をあげることができる。どうせ、納得できないのだ。納得できたとしてもアクションを起こさないのが人間なのに、納得すらできないと、アクションのスタート地点にすら立てない。仮に、コミュニケーションを重ねて納得し、アクションできたとしても、どうも長続きしそうにないね。

つまり、本人がやりたくてやってないことは、すべて継続的になされることはない。「なんのため?」という目的をクライアントが自分自身で導き出し、心底からそのことをやりたいと思い、さらに継続的にアクションし続けるには、そのことが誰かから承認され成果をあげることを期待され続けるという状態が必須となる。

もう一つ注意すべきは、コーチングとは自分の限られた経験に基づいて指導することでは決してない。自分の経験が他の場合にもそのまま適用できるという勘違いは、罪が重い。
コーチは、ひたすら、

「ゴール達成に対してアゲアゲにすること」

これだけだ。これを積極的に行うのである。

クライアントの現在までの歴史、置かれている現状、思考方法や妙な癖、その他に問題があると感じようとも、それらをすべて「マインドの問題」と捉えるのがコーチである。すべての原因はマインドにあり!として、そのマインドをゴール達成のみにフォーカスして、日々の声がけでアゲアゲにしていく。

アゲアゲの基本は、「ほめる」という報酬だと思う。日本の海軍軍人で、元帥海軍大将の山本五十六の格言では次が有名だ。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
Source: 山本五十六

これには、コーチングに必要な要素が網羅的に散りばめられていると思う。上記すべての行為がアゲアゲの実体である。この中でも「ほめる」という行為は、クライアントの快感や幸福感に直結する要素となり、次のアクションに繋がるという意味において、ドライブさせるための重要な要素だ。

ほめられると、報酬系の扁桃体が刺激を受けて、ドーパミンが分泌されることは実験でも明らかにされている。ほめかたにもいろいろあるだろうが、結果とそのプロセス、思考方法など細かなところまでしっかり観察して本心でほめ讃えることが肝要だろう。

ほめるのは、簡単で効果的で無料なわけだから、バンバンほめてほめまくるのが基本的なアゲアゲだ。
※ 一方、「短期的集中力」を維持させる手法では、クライアントへの「幸福」と「恐怖」を使い分けることが効果的などといわれるが、それは別の機会に述べたい。

したがって、コーチは大好きなクライアントをよく見て、よく声がけし、勇気づけすることで内発的なやる気を喚起する。そういった1対1のコミュニケーションの結果として、ゴール達成へのモチベーションが上がるという状態を築くことである。

コーチングの必要性

なぜ、コーチングが必要なのだろうか。
まず、クライアントが「現状」に満足するならば、ゴールを立てたり、そこを目指してクリエイティビティを発揮することは必要ない。だからゴールがないので、必然的にコーチングは不要だ。
ゆえに、コーチングの機能を有効化するには、クライアントが現状をなんらかの形で改善したりよりよい方向へ変えたいという野心を抱いていることが前提である。

現状の延長ではないゴールを設定したとして、それに対してこのような族が現れるのである。
「やめておけ」・「無理だ」・「知らん」・「失敗しろ…」。
もう一つは、自己評価の減退である。
「俺なんてできない」・「このゴールに本当に価値があるのだろうか」
という不安。
ゴールは、立てた時が最も高いやる気に満ちている。時間が経つにつれてそれは減退する。上記のような周囲にあふれるマイナスの要素によって、自分への評価が下がり自信がなくなる。

その時である。

コーチがいるのといないのとでは全く違う。自信が違うといっている。一人だけでは、踏み出せない、あるいはマインドを維持・向上できないことがなんと多いか!

たとえば、俺は中身が見える掃除機を作る!という野心的ゴールを持っていたとする。

“成果(吸引したゴミ)が見える”掃除機がこの世に必ず必要だ、と熱望していても、それは(吸引したゴミは見えない)現状を逸脱したものだから多くの人にとって不愉快だ。すると大抵の周囲の反応は、「(嘲笑)」・「流行らないでしょ」・「見た目が汚くてだめでしょ」なんてことになる。ゴールをキル(殺す)されるわけだ。

しかし、コーチがいると全く違う。「やれる!」というマインドをひたすら持ち上げてくれる存在だからだ。自分のゴールへの絶対的なサポーターの存在は、一歩踏み出すのにとても大きい。

一人だけで「現状」と戦うのは、どんな優秀な人物でも、いや優秀な人物ほど(より高いゴールを持っているからして!)難しいのである

誰も支持してくれない世界と、強烈な一人(コーチ)がいる世界。

現状から抜け出したい!とか、もっとよくしたい!という高度な意識を持っている人にとって、コーチングが必要になる理由がおわかりだろう。

かくしてチームはゴールへ向かう

最後に、チーム力が高いという状態の時のマインドを考えたい。

それは、チームのメンバー「全員」がアゲアゲな組織だ。例えば、A -> B -> C の工程があったとして、ほんの1つの工程でつまずくだけで、ゴールへの成果は得られない。つまり、協力が成立しないので、チーム力が下がる。注意したいのは、チーム力があがったから、アゲアゲになるのではない。チーム全員がアゲアゲだから、チーム力があがるのだ。重要なのは、全員ってことだ。

実は、チームというのは、一人でもパフォーマンスの低い人がいたら、全体のパフォーマンスがその低いレベルにまで下がってしまう。ボトルネックになるのだ。もちろん影響力の高い低いはあるかもしれないが、基本的には全員がアゲアゲにならなければ、チームとしての成果はどこかで低いレベルに下がってしまう。そういう原理になっている。

マネジメントとして重要なのは、組織の中にアゲアゲではない人をいかに作らないか。いかにしてそういう人を出さないかなのだ。低いパフォーマンスが存在するおかげで、成果がゼロになるリスクを考えれば、必然的にそうなる。一方で、そういう人を排除していくのがチームのやることなのか?という議論もあるが。

また、最終的には、組織を構成する人すべてが、コーチングのスキルを身につけ、相互にコーチングできるようになることが理想的かもしれない。だれがやったっていいのだから。コーチングボリュームが増加することを目的とすれば、コーチが多い方が有利だ。

アゲアゲになるのは、成果があがることの原因だ。

これはマインドの問題だからこそ、コーチが必要となるのだ!

君が笑うなら、
きっと、みんなも笑うだろう。
コーチは誰よりも大声で笑う。

君が泣いているなら、
みんなは見て見ぬフリをかますだろう。
そのときコーチは、
君より先に泣き終わっている。

投稿者: Kohei Kikuchi

Kohei Kikuchi is the Goalous project leader.

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