なぜ目標・ゴールが必要か

ゴールの意味

「なんでゴールなんているの?」
って聞かれたらなんて答える?

目指さないとどこにも辿り着かないよ
なんてわりと意味深に答える人。

そこにゴールがあるから
返答が古くてあまり笑えない人。

そんなこと気にするな
達観したフリでたまにイラっとする人。

ゴールを定義してくれないと答えられな…
タダの厳密な人。

ゴールの必要性を理解していないと、ゴールの存在意義なんてわからないはずだ。
あ、ゴールって呼んでるのは、目標と言い換えてもいいです。ある辞書なんかでは、ゴールを

最終的な目標点。
Source: 大辞林

とかいってるので。キャッチーにゴールといっているという理解でお願いしますね。ちなみにLongmanなんかだと、

something that you hope to achieve in the future
Source: Longman English Dictionary Online

という感じで。将来的に達成したい何か、なんだなゴールというのは。逆にいうと、ゴールがないというのは、将来的に達成したいことがない、ってことになる。
ところで「ビジョン」という言葉もよく使われる。これは「存在意義(ミッション)をベースとした未来を創造するためのイマジネーション」のことだ。「ありたい姿」という表現をする人もいる。ゴールだって、将来的に実現させたいことでしょ?というだろう。しかし、ゴールとの違いは、感情的な昂揚をもたらし、かつ自己への動機付けを表現する象徴的なものであるかどうかが違う。たとえばGoalousでいえば、こうだ。

ビジョン: 世界中の組織がGoalousを使って爆発的にたのしく成果を出している

ゴール: 2020年までにユーザー数を1億人に増やす

ゴールというのは、目”標”という言葉にあるように標(シルベ)、つまり「目印」という要素があるので、たとえば「いつまでに?」・「どのくらい?」という最低限の指標があることが条件になる。実現性を具体的に検討し得る材料が存在しているということだ。

ビジョンのためにはまずゴール

組織で大事なのは、ビジョンだ。ドリームだ。「こうしたい」という夢があるんだろうよ!組織が人の集まりをベースとしたものと考えるならば、それは何かを目指して集合した団体だとするのが自然だ。ただ集まっただけではないだろう。また、ビジョンのある組織には、ゴールが発生する。ビジョンのために具体的に行動したいと願うからだ。このように、ゴールを持って相互に協働する集団のことを、我々は「チーム」と呼んでいる。

ゴールがあるということは、「将来への認識」が明確にあるということだ。活動の出発点は「認識」することである。腹が痛くて治したいから薬を飲む。火が出てて消したいから消火する。ウンコしたくて出したいから便所へ行く。未来への認識がなければ行動はない。

現在とは、未来がドンドン押し寄せてきているという状態であると考えることもできよう。我々は未来に向かって歩いている。どの路をどう歩くか。それを決定してくれるのが、ゴールである。つまり、過去や現在のデータ集積・分析の果てにゴールという認識が生まれるのではない。ゴールという認識のみが次の一歩を作る。

だから、まずゴールなのである。

たとえば、「2020年までに100個のスマートフォンアプリをリリースできる会社になる」と謳えば、すぐに「認識」が生まれる。あ、開発者がいない(致命的w)。作りたいアプリがない(これも致命的だけどもw)。時間がない(…)。でもだ。ともかく100個リリースしたいわけだ。活動をはじめなければならない、となる。さらにそのゴール達成のために、どんな成果を挙げればよいかを思考できるわけだ。ゴールがあるとそれを起点に日常を最適化できる。迷いが少なくなる。

ゴールが願いを現実にする

キング・オブ・ポップのマイケル・ジャクソンはこういう。

I believe in wishes and in a person’s ability to make a wish come true. I really do. ( … )
And a wish is more than a wish, it’s a goal.
It’s something your conscious and subconscious can help make reality.
Source: Moonwalk, Michael Jackson, 2009

ぼくは願いを、そして願いを現実のものにしていく人間の能力を信じています。本当に信じているのです。(中略)
その願いは、願いを超えて、目標に姿を変えます。自分の意識や無意識の力で、それを現実のものにすることができるのです。

ゴールを現実にするというのは、極めて人間らしいと思う。そしてチームに属しているのならば、ゴールを目指して最高のパフォーマンスを出したいとも願う。次は、「よいゴール」を考えてみたい。

目的を、いう

Goalousの目的

チーム力を”たのしく”あげる

これが、Goalous(ゴーラス)というWebサービスの目的である。目的というのは、「実現や到達を目指す事柄」のことである。つまり、「なんのため?」という疑問に答えうるコトである。

「チーム力をあげる」ということは、あらゆる組織において、普遍的価値を持つのか?”正しい”ことなのか?また、「たのしく」する必要はあるのか?

チーム力

チームというのは、「共通のゴールを達成するために協力し合う集団」を指す。単なる「人が集まった集団(グループ)」とは、ゴールの存在と相互の協調関係において意味合いがまるで違う。組織において、チームとして力を発揮することは、人間育成の観点を考慮しても多くの人が期待することとして疑いないでしょう?

そして、チーム「力」とは、あるゴールのためにメンバー各人が当事者意識をもち、協力し合い、推進力の一部として貢献し合うという状態を意味する。そのチーム力を「あげる」というのは、これらに係る行動の回数や質を向上させることである。

たのしく

たのしくする必要?ある?ない?
ゴールを設定し、みんなで向かう。それらがちっともたのしくなかったら?だれも継続的にゴールへの到達を目指そうとなんてしない。たのしくなければやらないのだ。

Action on Goalous
Action on Goalous

Goalousでは、スバらしいゴールを登録し、みんなにオープンにし、ゴールを繰り返し確認できる。そして、ゴールへのアクションを写真でみんなに共有する。いいね!やコメントがもらえる。それらの過程で、ドーパミンが分泌され、”ワクワク”・”ドキドキ”し、またみんなのリアクションにより”快感”や”幸福感”を得る。それが「たのしい」という感情である。たのしいという感情にイイ意味で依存して、次なるアクション、そして次なるゴールを設定する。その繰り返しがさらに高みにのぼるという行為である。

さらなる、なぜ?

「なぜ、目標を達成するために協力しあうのが正しいのか?」というように思考することは、「論理の無限後退」を招くゆえ、さらに前提を深堀することはしない。ウィトゲンシュタイン(Wittgenstein)のいう「超越確実性言明」という概念があるが、どうしてそれが大事かという考えから離脱して、「ここを基盤として考える」ものとして受け入れてほしい!(結局、あなたに依るのだ…)

人によって、時代によって、観点や判断基準は種々様々だ。だから0か1かでこれが正しいと述べる姿勢はときに滑稽だ。ただし、目標達成へ向かって協力し合うことは、自然に素直にもはや当たり前に多くの人が理想としている状態だと考えている。

Goalous edo
Goalous edo

なにがしたいのか?

我々には、”want to” がある。正しい、あるいは理想だと思ったことをWebサービスで実現して、それによってたのしいをうみだしとどけることだ。組織のビジョンを実現するために必要なのは、ゴールとそれに向かうメンバー、そして、それを支えるシステムだ。Goalousを先の目的を達する至上のサービスとしていくことを目指したい。

今後、より高度に、だがシンプルなる「チーム力をあげる」システムを、マジで創発していきたいと。

当ブログで、よいゴール・オープンの価値・チームって・活動すること・ほめることなどより詳しく語っていく。