オープンにせよ!というが
世間は「情報のオープン化」という言葉に、どれだけの価値を感じているのか。
クローズドを恐れる人は。
「閉じてるよりよさそうだ」
あんまりどうでもいい人は。
「公開されてもその情報に興味がない」
なにかにつけて説明を求めるような人は。
「説明義務を果たしてて、ありがたい」
ピントがずれた批判として。
「そんなことより、やることやってほしい」
どうせ聞いてないのにこう言う人も多い。
「ちゃんと説明して欲しい…」
SNSが流行りすぎて、近頃こうなる。
「情報が多すぎて見るのが大変…」
そんなイメージかなと。そして、われわれ株式会社ISAOのSpiritsの一節に登場することば。
オープンにつながる
その価値を考えたい。
情報というもの
人間は情報空間で生きている。そしてそのことを人間は薄々知っている。脳のみがすべての認識を生んでおり、もちろん喜怒哀楽を含めての感情も脳にすべて依存している。臨済宗妙心寺派の僧である快川紹喜(Kaisen Joki)が、1582年に恵林寺において焼死したときに残した辞世の句がある。
心頭滅却すれば火も亦た涼し
Source: 快川紹喜(Kaisen Joki)
これはまさに、ファイヤーという超熱い物理的な脅威が身体に迫ろうとも、脳への”脳による”至上命令を出すことができれば、それが涼しいと感じることだって可能なんだという話である。これは、人間が情報空間で生きてることを示している。生きるのが辛いと嘆く者も同じであるが、情報処理のセンスによって最強に不幸なことだって、ハッピーにできる。どう感じるかを選択しているのは脳であるから、セルフコントロール可能だと。
スマホだってそうだろう。
何ら物理的に影響がなくても、ゲームで人を殺したり、冒険したり、コラボってたのしんだりする。人と出会ったり、会話したり、動画をみてたのしんだり。スマートフォンのちっこい画面になにかしらの光る情報が出ているだけで、ありありと臨場感を抱いてしまう。「本当にそうである」、「そのことが発生したのだ」と認識する。繰り返すが、実際に物理現象を見たわけではない。人がそこにいるわけでもない。だから、情報を頼りに生きている。情報に生かされているのだ。
したがって、情報こそが人間生活のクオリティを左右する要素のすべてだということ。
オープンにする価値
情報が閉じられていると、それがなにかわからない。透視という妙な技術を持つ以外にその秘められた情報を得る手段はあるまい。わからないというほんのそれだけの話だが、これが最も深刻な事態を招きかねない。
チームに属するメンバーは、「お互いを理解している」という状態のときに初めて有効なパフォーマンスを発揮するとよくいわれる。人は「わかならい」という因子が多い場合には、動けない、または決して動かないことを意味している。
Googleは、ある研究結果を出した。「効果的なチームを作る5つの力学」についてだ。
1. Psychological Safety (心理的安全性):
不安に思ったり恥ずかしいと感じることなく、チームで動けてる?
2. Dependability (信頼性):
納期通りに高品質な作業をするために相互を頼りにできてる?
3. Structure & Clarity (組織と明確性):
チームのゴール、役割、実行計画は明確か?
4. Meaning of work (仕事の意味):
個人的に重要である何かに取り組んでいるか?
5. Impact of work (仕事が与える影響):
自分たちの仕事が重要であることを根本的に信じているか?

反対に次の要素はあまり影響がないとしている。
・どこで仕事するか
・コンセンサスに基づいた意思決定
・外向性
・個人の能力
・人数
・仕事の大きさ
この結論は、あくまでGoogle従業員への調査によるものだ。しかし、チーム力向上にとって重要なことを網羅的に示していると感じるし、正しいと思う。したがって、情報のオープンがこの力学体系のどこに影響するかを考えることが、チームにとってのオープンの価値を論考することになる。
それはすぐにわかることだ。
基本段階を含む1・2・3、つまり「心理的安全性」・「信頼性」・「組織と明確性」にオープンが強く関わってくる。
組織に関係するあらゆる情報がオープンでなければ、知らないことがどんどん増加して、不安や発言への羞恥心が増加する。心理的に不安定になる。
チームメンバーがオープンにつながっていなければ、相手を知ることができない。ウソもいう。状況もわからない。つまり、信頼性は生まれない。
そして、ゴールや役割、計画がオープンになっていなければ、何を頼りに進めばよいかわからない。自己の存在意義も失ってしまう。
オープンでないと、チーム作りの基礎で思いっきりつまずくということ!
オープンでないと、協働して何かを目指すなんてことが到底不可能なのだ!
オープンにするタイミング
ところで、念のためいっておきたいことがある。
「決定してからみんなにいう」
これは大間違いだ。
「決定する前にいう」
「決定するためにいう」
これが大正解だ。
意思決定する前にオープンにする意義として、「多数の観点から、多様な意見をもらえる」という点がある。あなたの観点は極めて限定的だ。見えないものが見えていない。盲点だらけなんだ。多くの人は、たかが自分の常識や信念の中でしか、物事を判断しようとしていない。そうなると、あなただけの観点でものを見て、あなたの限定的な経験に基づいて判断したことになる。これでは、判断を間違えることがある。
また、決定の過程を知っているのと、知らないのとでは理解の深さに雲泥の差がある。なぜ・どのようにそうなったのか?結論だけ聞かされても、理解できないのだ。理解できない場合、人はアクションを起こさない。
ただし、多様な意見を聞くには、情報を処理するスピードとパワーが必要である。聞く力のないリーダーは、オープンには適さない。
チームで真っ先にオープンにするもの
先ほどのGoogleの例に戻ろう。効果的なチームとして成立させるための1・2・3、つまり「居心地よく、信じ合い、なにかに向かう」ためには何をすればいいか。
・自分の能力、思想や特性をさらけ出す
・期待された役割を果たすために必死になる
・ゴールとKRを明確に伝える
こえれらはチーム力向上への基礎であり、まずやることだ。
「道」を示す
先ほどの3点目「ゴールとKRを明確に伝える」に関して。
天下有道。則庶人不議。
天下に道が行なわれておれば、庶民が政治にブツブツいうこともない
Source: 論語
「道」とは、メンバーの誰もが納得しうるプロジェクトの物差しであり、到達したい地点や基準となる方法である。Goalous的にいえば、ゴールとKR(Key Result)のことを意味しているといってもよかろう。また、「道が行なわれている」というのは、それが実行されている現状のことだ。
道をオープンにして、道をオープンに行う。
ということは、
ゴールとKR、そしてその進捗をみんながわかるように示す。
どこかでブツブツいう者よ、いなくな〜れ!
以上、オープンの価値でした。